コラム

子どもの声を“聴く”

 先日の大雪の日、積もるぐらいの雪をきっと初めて見た年少さんの女の子が僕の膝の上にちょこんと座り、ねえねえと耳を貸すように手招きしていたので「なぁに?」と顔を近づけると「もう我慢できないくらいに雪が触りたくなっちゃった」と小さな声で教えてくれました。そして、外に出て僕と手を繋ぎながらもう片方の手で積もった雪を掴むと、サッと雪が溶け冷たい感覚だけが残りました。すると、その子は鼻を赤くして「なくなっちゃった!」とニコッと笑いかけてくれました。「無くなったから悲しい」ではなく「雪ってなくなるんだよ!大発見だ!」のニコッ。そんな笑顔を見ると、嬉しくて寒さなんかどうでも良くなってしまいます。

 

 逆に、もっと子どもの声に耳を傾けないとな。と感じる出来事もありました。2月に入りどの園にとっても年度の締めくくりの時期を迎えました。4月から子どもたちとの生活の中で大切にしてきたことや、子ども同士の関係性の深まりなども見えてきます。とはいえ、先生にとっては一番バタバタと忙しい時期でもあります。引き継ぎがあったり、進学のための要録作成もあったり。おまけに発表会などの行事が重なるともう本当に大忙し。そうなると、「ちょっと待ってね」と子ども達を待たせることもしばしば出てきてしまい、僕もふと気が付くと「ちょっと待ってね」と子どもに声をかけちゃっていました。そうこうしていると、子どもたちからは「いつまで待つの?」の声。「ごめん…」とすぐにその子の元へ駆け寄ると、「もう!いっぱい待ったよ!」って怒られちゃいました。

 

そんなこともあり、最近、「子どもの声を聴くことの大切さ」を実感しています。“聞く“ではなく“聴く“。どういうことかというと。僕がまだ幼稚園に通っている頃、僕は祖父母と遊ぶ事が大好きでした。僕と遊んでくれる祖父母が本当に楽しそうだったからです。パジェロという車に乗って毎日向かいにきてくれる祖父。車がバックしている音が耳に入ってきただけで、僕も家から飛び出して車の近くまで駆け寄っていたことを覚えています。そのパジェロで田んぼに連れて行ってもらって裸足で田んぼの中を歩き回ったり、山菜をとって祖父母の家で天ぷらを作って食べたり。そんな遊びをしていました。そして遊んだ服を思いっきり汚して帰るたびに、嬉しそうにその泥汚れを洗濯してくれる母。そんなときは決まって今日何があったのかを僕が話したいだけじっと聴いてくれていました。初めて田んぼに入って足首までズボッと入ったあの経験を、自分で採った山菜の味が最高に苦かったあの経験を。五感フル回転で楽しんだ1日を思い出して語る。それを聴いてもらう。29歳になった今でも僕の心に残っているのは、「心が大きく揺さぶられた経験」と「それを聴いてもらった経験」とが組み合わさったものが多いような気がします。

 

 マスクをつける事が当たり前の生活になってもう丸3年。大人の3年なんかより子どもの3年は本当に一瞬で、色が濃いんです。バタバタしてしまう2月のこんなときだからこそ、「ちょっと待ってね」の間に子どもたちの楽しい出来事が逃げてしまわないよう、少し立ち止まって相手の手を取って、目を見て子どもの声を聴きながら残された令和4年度を過ごしていきたいなと思います。

 

 

(投稿: 認定こども園・武岡幼稚園  福丸直宏)